読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

NECNippon Electric Company, Limitedの略)

日本電気株式会社
NEC Corporation
ロゴ
NEC Super Tower.jpg
日本電気本社ビル(NECスーパータワー)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 6701
1949年5月16日上場
略称 日電、NEC
本社所在地 日本の旗 日本
〒108-8001
東京都港区芝五丁目7番1号
設立 1899年(明治32年)7月17日
業種 電気機器
事業内容 システムプラットフォーム事業
テレコムキャリア事業
パブリック事業
エンタープライズ事業
代表者 代表取締役社長 新野隆
資本金 3971億99百万円
(2016年3月期)[1]
発行済株式総数 26億473万2,635株
(2016年3月期)[2]
売上高 連結:2,821,181百万円
(2016年3月期)[3]
営業利益 連結:107,306百万円
(2016年3月期)[4]
純利益 連結:74,039百万円
(2016年3月期)[5]
純資産 連結:852,493百万円
(2016年3月期)[6]
総資産 連結:2,493,441百万円
(2016年3月期)[7]
従業員数 連結:98,726人
(2016年3月期)[8]
決算期 3月末日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本トラスティ・サービス信託口 4.32%
日本マスタートラスト信託口 4.20%
チェース マンハッタン バンク エヌエイ ロンドン スペシャル アカウント ナンバー ワン 2.92%
NEC従業員持株会 1.95%
日本生命保険 1.62%
(2016年3月31日時点)[2]
主要子会社 NECプラットフォームズ 100%
NECソリューションイノベータ 100%
NECフィールディング 100%
NECネッツエスアイ 51.5%
関係する人物 岩垂邦彦(創業者、初代社長)
ウォルター・T・カールトン(創業者)
丹羽保次郎
小林正次
小林宏治(元・代表取締役会長)
関本忠弘(元・代表取締役会長)
大内淳義(元・代表取締役会長)
外部リンク jpn.nec.com
テンプレートを表示
日本電気株式会社(にっぽんでんき、英:NEC Corporation、略称:NEC(エヌ・イー・シー)、旧英社名 Nippon Electric Company, Limitedの略)は、東京都港区芝五丁目(元・東京都港区芝三田四国町)に本社を置く住友グループの電機メーカー。

日電(にちでん)と略されることも稀にあるが、一般的には略称のNECが使われ、ロゴマークや関連会社の名前などにもNECが用いられている。

住友電気工業と兄弟会社で、同社及び住友商事とともに住友新御三家の一角であるが、住友の象徴である井桁マークは使用していない。

有線・無線通信機器(IP電話網、携帯電話基地局、テレビジョン放送設備、ITS、鉄道無線、船舶無線、航空無線、宇宙通信等)、コンピュータ(パーソナルコンピュータからメインフレーム、スーパーコンピュータまで)およびITサービスを主力事業としている。

日本のマイコン、パーソナルコンピュータ市場では黎明期より手がけ、1976年(昭和51年)のTK-80のリリースで、日本のマイコン市場の活性化に努めた。国内で「NEC」というブランドで親しまれているものにパーソナルコンピュータ(PC)があったが、近年では個人消費者向け製品から法人向け製品や社会インフラ製品へ注力するよう事業改革が進められた。

ITとネットワーク(NW)さらにはITとオペレーショナル・テクノロジー(OT)の融合を掲げ、クラウドコンピューティングを活用したITサービスやプラットフォームの提供、NGNやSDN、スマートグリッド、IoTなどのキャリアネットワークや社会インフラの構築、さらに近年ではビッグデータアナリティクスやFinTech(ブロックチェーン開発)、自動運転技術、社会ソリューション向け人工知能にも力を入れている。

「海底から宇宙まで」、ICTを活用した社会インフラの高度化を掲げる国内外の社会インフラ事業では、局用交換機、衛星地上局、マイクロ波通信設備、光海底ケーブル、放送送信機などの通信装置や生体認証システムや監視システムなどのセキュリティシステムの構築実績を持つ。ODAを活用し、新興国を中心にICTインフラの構築を手がけてきた。アフリカとは1963年より取引があり、これまでアフリカの40カ国以上にマイクロ波通信システムを納入した[9]。また、アジアの主要空港向けに、生体認証技術を活用した安全で確実な出入国審査を実現する電子パスポートシステムを提供している[10]。現地法人のある南アフリカでは指紋認証による7千万人規模の国民IDシステムを構築した。

ブランドステートメントは「Orchestrating a brighter world」である[11]。

電機業界内での隠語として、日本電気を「三田」と言うことがある。

1899年(明治32年)7月17日設立。岩垂邦彦と米国ウェスタン・エレクトリック(現在のアルカテル・ルーセントの前身)が54%を出資する日米合弁会社であった。ウェスタン・エレクトリックは当初沖電機工場(現・沖電気工業)を合弁先に交渉したが、沖電機工場の沖牙太郎との間で条件がまとまらず成立しなかった[12]。このため、ウェスタン・エレクトリックの代理人として交渉に当たっていた岩垂が自ら会社を興して提携相手となった。これは日本最初の合弁企業の事例とされる(1992年まで使用されていたNECロゴタイプウ社の当時のロゴに由来している)。

戦前は、電話交換機などの通信機器の製造を主な事業としていた。1928年(昭和3年)に日本電気の丹羽保次郎、小林正次らが昭和天皇の即位大礼の写真のファクシミリ通信を成功させた業績で知られる。

その後、住友財閥に経営委託され、第二次世界大戦で日米関係が悪化すると住友グループ傘下となった。このため、1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)までのごく一時期であるが「住友通信工業」という社名を名乗っていた(住友電気工業が当時既に存在していたためこの社名になったようである)。大戦期は陸軍の無線機を一手に引き受け、電波警戒機の開発も行っていた。

戦後は、通信関係や真空管半導体など電子部品のほか、子会社「新日本電気」(のちの日本電気ホームエレクトロニクスとなり、現在は清算)による家電・無線通信機器分野への進出がされた。また、1958年(昭和33年)のNEAC 1101からコンピュータの開発にも取り組み始めた。


旧ロゴ(1963-1992年)
1960年代より、マイクロ波通信装置を中心とする通信機器の海外輸出に積極的に取り組み始めた。

1963年、茨城宇宙通信実験所の日本初の衛星通信地球局に高感度受信装置を納入。

1970年(昭和45年)には、日本初の人工衛星である「おおすみ」を製造し、運用に成功する。

1977年(昭和52年)に、当時会長であった小林宏治によって「コンピュータと通信の融合」をうたった「C&C」(Computer & Communicationの略)のスローガンが提唱され、新たな企業理念となる。これ以降、それまで「電電ファミリー」(例えば電話交換機では富士通と並び大手の一角と言われた)というイメージの強かったNECは、情報・通信系を中心とした総合電機メーカーへと変貌を遂げる。


ノートパソコンの一例
PC-9821 Nb10
1982年(昭和57年)に発売された「PC-9800シリーズ」は、約15年間にわたって日本のパソコン市場を席巻し、全盛期には「国民機」とまで呼ばれるようになった。

C&Cの理念は小林の実質的な後継社長であった関本忠弘の時代にも引き継がれ、上記のPC-9800シリーズによる国内PCの圧倒的シェアに加え、1985年にはスーパーコンピュータSX-2が世界最速となり、1980年代後半には半導体生産で世界一位となるなど、日本を代表するエレクトロニクス企業へと成長した。コンピュータ系の事業部門においては、日本の情報処理分野の生みの父の一人とされる水野幸男などが、汎用機や関本の好む大型技術案件だけに集中しがちなNEC自体の傾向を補正し、PCやUNIXなどの当時の次世代技術に他ベンダよりいち早く投資を続ける事により発展してきたという側面も大きい。

NECを含めた日本企業の国際半導体市場進出は、「日の丸半導体」と呼ばれ、日米半導体貿易摩擦問題として政治問題化するまでになった。プラザ合意(1985年)後の急速な円高や、1986年から1996年まで続いた「日米半導体協定」[13]の影響により海外競争力は衰えることとなった[14][15]。


新ロゴ(1992年-)
この間、1983年(昭和58年)には、英文社名を現在のものに変更している。1990年(平成2年)には、創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワーが建設された(建設中は森永製菓本社がある森永プラザビルを間借りしていた)。さらに、1992年(平成4年)には、CI刷新により、現在の青色のNECマークとロゴに変更した。このロゴの使用を開始した1992年(平成4年)以降、対外的には「NEC」を通称とするようになっている。

1990年代後半に至り、国内PC市場でのPC/AT互換機対応の遅れ、海外PC市場進出をめざし買収したパッカードベル社の不振、半導体市場での米国・韓国勢との競争激化といった要因により業績の勢いにかげりが見えた矢先、1998年(平成10年)には防衛庁調達における価格水増し疑惑が発覚し、企業イメージを損なうこととなった。この責任を取る形で関本は会長を退き、社長も金子尚志から西垣浩司へと交代した。

西垣社長体制下において、不採算事業のリストラとガバメント強化施策に従い、家電分野から撤退した。1999年(平成11年)12月には、DRAM事業部門を分社化し、NEC日立メモリ(エルピーダメモリに改称後、会社更生法適用により、現・マイクロンメモリジャパン)を設立する。また、2000年(平成12年)4月には、社内カンパニーとしてNECソリューションズ・NECネットワークス・NECエレクトロンバイスを設立したが、2002年(平成14年)11月に半導体関連部門のNECエレクトロンバイスNECエレクトロニクス(現・ルネサスエレクトロニクス)として分社化、カンパニー制自体も導入からわずか3年後の2003年(平成15年)4月に金杉社長体制において廃止された。総合電機メーカーとしての暖簾を下ろし、C&Cコンセプトに立ち戻り、コンピュータシステム及び通信を中心とした電機メーカーへ転換した。

2001年(平成13年)、創立100周年記念事業として、玉川事業場の一部を高層ビル群に建て替えた(NEC玉川ルネッサンスシティ)。年間の売上が5兆4097億円と過去最大に達した(2016年度の二倍以上)[16]。

2002年(平成14年)には、「地球シミュレータ」を完成させ、日米スパコン貿易摩擦以降初めて、スーパーコンピュータの世界最速を記録した。稼働当初の他を圧倒する性能差は、アメリカではスプートニクショックになぞらえコンピュートニクショックと呼ばれ衝撃を与えた。

2004年(平成16年)11月、アビームコンサルティングと業務提携し、グループに加えることで、ビジネスコンサルティングとITサービスを強化する。

また、通信ネットワークのインターネット化・IP化を進め、次世代電話網のNGN (Next Generation Network) に関しては、IT/NW機器業界では一番早くから対応を進めている[17]。

1988年よりNASDAQ米国預託証券ADR)を上場していたが[18]、米国の監査法人から求められていた保守・サポートサービスと製品が一体になった「複合契約」の収益分析が完了しなかったため、上場維持に必要なSECに対する2006年3月期の年次報告書を提出できず、2007年10月に上場を廃止した[19]。その後、SECとの間では2008年6月に和解が成立した[20]。また、この関連で2006年の中間決算より、日本国内向けの財務諸表の作成基準を従来の米国基準から日本基準に変更している。

2007年(平成19年)4月、日産自動車とともに自動車アプリケーション用リチウムイオン電池の開発を行うオートモーティブ エナジー サプライを設立する。これによって、自動車の電化時代の到来に対応している。2010年にはリチウムイオン電池専門のNECエナジーデバイスを設立。

2010年(平成22年)、6月13日、NEC東芝スペースシステムが主製造業者として製造した「はやぶさ」が世界初の地球重力圏外にある天体からのサンプルリターンに成功して地球に帰還する。

同年、携帯電話事業を分社化し、NECカシオ モバイルコミュニケーションズ(後にNECモバイルコミュニケーションズに改称)を設立する。また半導体子会社のNECエレクトロニクスルネサス テクノロジと合併しルネサス エレクトロニクスとなった。

2011年(平成23年)1月27日、80年代から国内シェア首位のPC事業を分社化し、世界シェア4位のレノボとともに合弁会社を設立すると発表した。これにより国内最大手のPC事業グループが誕生した[21]。

これらの統合による規模のメリットによって、パーソナルプロダクトのコストダウンやシェア拡大を目指す一方で、成長市場であるクラウドスマートグリッドなどのビジネス・社会インフラ関係の分野での事業創出を図っている[22]。

また、SDN (Software Defined Network) を実現するOpenFlow技術を世界で初めて製品化したUNIVERGE PFシリーズを発売する[23]。

2011年から南アフリカ共和国現地法人を設置して積極的に事業展開している。

2012年(平成24年)、東京国税局の税務調査で、海外の携帯電話事業からの撤退に絡んで要求され支払った補償金などについて交際費と認定され、約100億円分の所得隠しを指摘されている[24]。

2013年(平成25年)、SDN戦略本部を設立し[25]、世界で初めて通信キャリア向けネットワークのSDN仮想化ソリューションを発売する[26]など、SDNを新しい事業の柱として据えている[27]。

2011年発売のMEDIASより参入していたスマートフォン事業からの撤退を発表。フィーチャーフォンの開発は継続するが、2001年から2004年までの4年間トップを占めていた国内シェアは、2011年には7位まで落ち込んでいる[28]。パーソナル事業から社会インフラ事業へのシフトがますます鮮明となる。

2014年4月、ビッグデータ戦略本部を新設した。

2014年にはアジア・アフリカ・ヨーロッパ間とアンゴラ・ブラジル間の2件の海底ケーブル敷設を受注している。後者については国際協力銀行三井住友銀行日本貿易保険の協調融資が活用される。

2015年6月、ものづくりソリューションとして「NEC Industrial IoT」というサービスの提供を開始した[29]。

2015年12月、1960年代より開発で先行し、常にトップグループを走り続けてきたオフィスコンピュータの製造より撤退[30]。同製品の市場規模の縮小により採算が悪くなった影響である。コンビニエンスストアやホテルなどの稼働中のバックオフィス用コンピュータは独占状態に近く、保守サポートは2023年まで継続する。

2016年3月、フィーチャーフォンのみとなった携帯電話事業は、NECモバイルコミュニケーションズを解散する形で再びNEC本体直轄となった[31]。

2016年4月、FinTech事業開発室を新設した[32]。また、大阪大学内に次世代コンピューターの基盤技術を開発する「NECブレイン・インスパイヤード・コンピューティング協働研究所」を設立した[33]。

2016年6月、産業技術総合研究所と共同で「産総研NEC 人工知能連携研究室」を設立した[34]。

2016年7月、人工知能技術を集結した「NEC the Wise」ブランドを策定した[35]。

2016年12月、人工知能を活用したがん治療用ワクチンの開発を担う新会社「サイトリミック」を設立 [36]。

2017年現在、サーバ分野で国内二強の一角(富士通とトップシェア争いを繰り広げている[37])である。メインフレームは現存する国内3社、世界6社のうちの1社である。また、ネットワーク機器関連の製品ではUNIVERGEブランドが代表的な製品である。IoT/M2Mソリューションの製品にはCONNEXIVEがある。

通信分野では、通信衛星から光通信など様々な設備を販売している。PASOLINKブランドは、小型の固定無線伝送装置で世界トップのシェアを持つ[38]。

近年では、人工知能を活用した画像認識[39]や自然言語認識[40]技術に強みを持ち、顔認識システムNeoFaceは国立標準技術研究所が主催する顔認証ベンチマークにおいて三回連続でスピード・精度ともに世界一を獲得している[41]。

これらの製品の国際市場への販売にも力を入れているとともに、海外メーカーなどの通信機器、コンピュータ、ソフトウェアも販売している。

2011年度(平成23年度)の募集職種は、設計開発(ハードウェア、ソフトウェア)、システムエンジニア、営業、スタッフ(事業計画、経理、資材購買、人事、法務など)、研究開発。

2009年(平成21年)には、同年度中に国内研究員の約15%(約150人)を製品開発や営業、SEなどの事業部門に異動させる方針と報じられている[42]。

※ 梶井剛の任期途中の1943年2月以降から社長を置く。それまでは専務がトップマネージメント。

代 氏名 在任期間 役職
1 岩垂邦彦 1899年 7月 - 1926年12月 専務
2 大畑源一郎 1926年12月 - 1932年 6月 専務
3 志田文雄 1932年 6月 - 1938年 4月 専務
4 梶井剛 1938年 7月 - 1943年 2月
1943年 2月 - 1946年 1月 専務
社長
5 佐伯長生 1946年 1月 - 1947年 6月 社長
6 渡辺斌衡 1947年 6月 - 1964年11月 社長
7 小林宏治 1964年11月 - 1976年 6月 社長
8 田中忠雄 1976年 6月 - 1980年 6月 社長
9 関本忠弘 1980年 6月 - 1994年 6月 社長
10 金子尚志 1994年 6月 - 1999年 2月 社長
11 西垣浩司 1999年 3月 - 2003年 3月 社長
12 金杉明信 2003年 3月 - 2006年 3月 社長
13 矢野薫 2006年 4月 - 2010年 3月 社長
14 遠藤信博 2010年 4月 - 2016年 3月 社長
15 新野隆 2016年 4月 -

主要な製品・サービスは、コンピュータ、ソフトウェアパッケージおよびネットワーク・通信機器の生産/販売、またそれらを組み合わせたITサービス(コンピュータシステムの構築・インテグレーション)の提供である。

2000年(平成12年)以降、事業の選択と集中が進み、半導体、携帯電話、照明および宇宙関連、パーソナルコンピューターの機器は分社化している。これらの製品は「#分社/子会社化した部門の製品」に記載する。

社内カンパニー制時代はNECソリューションズに属していた。

パーソナルコンピュータに関しては、 PC-9800シリーズ など「過去の製品の各項目」も参照
黎明期
NECのコンピュータは、戦前のリレー式自動電話交換機の開発に端を発し、日本電気の中島章は1936年(昭和11年)、後の真空管半導体コンピュータの論理回路にあたるリレー回路の論理設計を論理数学(ブール代数)により行う理論を発表している。

戦後の1950年代には、パラメトロンコンピュータNEAC-1101シリーズ、トランジスタコンピュータNEAC-2201シリーズやFONTAC(富士通/沖/NEC共同コンピュータ)といわれる初期コンピュータを構築した。さらに、1960年代半ばに始まる経済産業省(当時)主体の大型プロジェクト超高性能電子計算機開発計画においては、IBMなどの海外のコンピュータベンダに寄らない日本独自のコンピュータシステムを構築すべく、電機メーカに対し通産省の元でコンピュータシステムの開発を進めた。[43][44][45][46]

1970年代
1973年(昭和48年)、日本ではコンピュータの輸入自由化が決定された。IBMを初めとする海外メーカーに日本市場を席巻されると考えた通商産業省は国内コンピュータ業界の再編に乗り出し、当時6社あった国産コンピュータメーカーのうち東芝NECを1つのグループとし、補助金を支給のうえ、各社に「IBM対抗機」を開発させた。この際に開発されたのが、メインフレームACOSシリーズである。

「三大コンピューターグループ」を参照
1976年にはワンボードマイコンのTK-80、1979年には初期のパソコンPC-8001を発売した。

1980年代
それまでの汎用機に加えて、ミニコンピュータやオフィスコンピュータのMSシリーズ/N5200シリーズといった小型サーバ機のカテゴリにも進出した。1985年(昭和60年)には通産省主導のΣプロジェクトに参加し、EWS4800によるUNIXワークステーションといったUNIX製品群においても、CAE-2Dなどを発売した。また、同年(Cray-2がリリースされるまでのつかの間)スーパーコンピュータSX-2が世界最速のコンピュータとなった。さらに、1987年には家庭用ゲーム機のPCエンジンを発売した。

NECのパソコンは1980年前半には日本国内を代表するブランドとなり[47]、1987年には国内シェア9割を握った。世界シェアでも上位を占めていた[48]が、90年代より海外市場でのシェアは低下していった[47]。NECのPCは、Windows以降の巨大な勢力であるPC/AT互換機とも激しい競争を繰り広げ、日本メーカーでは最後まで独自規格を貫いたが、最終的には最後発となりながらも標準規格を採用した(なお、他の日本メーカーの規格は比較的早い段階で消えていった)。

1990年代
UNIX戦争の影響やその後の、Windows OSベースのサーバやワークステーションの躍進を受けての、国産UNIX市場の衰退により、自社独自開発のUNIX関連製品群を放棄、HP-UXOEMへの縮退に至った[49]。1990年代後半に至ると、国内PC市場でのPC/AT互換機によるシェア浸食が進み、1997年にはついにPC98規格(米Microsoftと米Intelが策定したもの)に準拠したPC-98NXを発売し、営々と築き上げた独自規格を断念した[50]。

2000年代
個人向けPC事業においては、長らく日本電気本体(一時期は新日本電気も含まれていた)が事業を統括して、傘下の生産子会社(NEC米沢・NEC群馬・NEC新潟・日本電気データ機器)で製造を行う形を取っていた。しかし、2001年(平成13年)10月に製造をNECカスタムテクニカ、個人向け(VALUESTAR・LaVie)の販売をNECカスタマックスに統合再編し、さらに2003年(平成15年)7月、この2社が合併したNECパーソナルプロダクツが事業を行い、企業向け(Mate・VersaPro)についてはNECパーソナルプロダクツで製造、販売は日本電気本体が担当した。2009年(平成21年)には海外のパソコン事業から撤退、国内専業に甘んじる状態となっていた[47]。

2010年代以降
2004年よりのItanium系サーバの展開は2012年をもって終了した。さらに、2015年にはオフィスコンピュータの製造より撤退した。PCに関しては、往年の圧倒的シェアはないものの、国内シェアでトップを維持している。

レノボとの合弁
2011年(平成23年)1月27日、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分社化し、レノボとともに「レノボNECホールディングス (Lenovo NEC Holding B.V.)」という持株会社を設立すると発表した。NEC 49%、レノボ 51%の出資比率で同年7月1日に発足し、その100%子会社として、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分離した新会社NECパーソナルコンピュータおよび既存のレノボ・ジャパンが独立して設置された[51]。こうして、長らくNECおよびその関連企業によって行われてきたPCの製造は、NECパーソナルコンピュータに移管された[52]。ただし、国内市場では引き続きNECブランドのPCが製造販売され、企業向けPC(Mate・VersaPro)についてはNECパーソナルコンピュータが製造、日本電気本体が販売を担っている。レノボとともにNECのブランドも残る。しかしながらこの合弁は、NECにとっては実質的なパソコン事業の売却であるとも理解され[47]、統合から5年後に、レノボ側が合弁会社の全株式取得権をNECの同意があれば行使できる事が明らかにされた[53]。

その後、2014年10月7日にNECレノボは事業統合契約を更新し、従来「2016年の時点でレノボが全株式取得が可能」とされていた点については、期限を2018年までに延長した上で以降は2026年まで自動更新されることとなり、かつレノボNEC保有する株式を買い取って出資比率を66.6%まで引き上げる(NEC側は議決権を確保可能な33.4%)ことを可能とする条項が追加された[54]。2016年7月1日、NECはこの条項に沿って自社の持つ普通株式の9割をレノボに譲渡し、代わりに新たに発行される劣後株式を引き受けることで、議決権確保可能な33.4%まで出資比率を引き下げることを発表した[55][56]。この譲渡に伴いNECは200億円の売却益を2017年3月期に計上する予定で[55]、社会インフラ部門への投資に使われるのではないかと報じられている[56]。

UNIX
SXシリーズ(ベクトル型スーパーコンピュータ)
LXシリーズ(スカラー型)
特注機
地球シミュレータ

地球シミュレータ(ちきゅうシミュレータ、英: Earth Simulator)は、NEC SXシリーズベース(現行機はSX-ACE)のスーパーコンピュータシステムである。

神奈川県横浜市金沢区海洋研究開発機構 (JAMSTEC) 横浜研究所に設置されている。

1993年~1995年[1]にTOP500首位となった数値風洞計画(NAL、富士通)を先導した三好甫が、それに引き続き日本のスーパーコンピュータをリードするシステムとして、JAMSTEC日本電気を先導したのが本計算機計画である。また科学技術庁(1998年度当時)としては地球規模の環境変動の解明・予測といった大義の他、バブル崩壊により著しく落ち込んでいた業界の維持といった目的もあり、600億円を投じて開発が開始された。2001年下旬に三好は逝去したが、残された計画通りシステムは完成、2002年3月15日に運用を開始し、目標通りの威力を発揮した。まず、その実性能自体が「コンピュートニク」とすら呼ばれるほどの印象を高性能計算関連の(主として米国の)産官学に与えた。また科学的な成果としては、地球温暖化地殻変動といった、文字通り地球規模でのシミュレーションに利用され、気候変動に関する政府間パネルの2007年ノーベル平和賞受賞にも大きく貢献し、他にも多くの計算科学による成果を上げた。その後も公募により、地球科学、先進・創出分野での共同利用が行われている他、2007年からは産業界による成果専有型の有償利用も可能となっている。2009年3月に2代目のシステムへの更新、2015年3月に3代目のシステムの更新を完了し、4月から運用を開始している。初代以来、また日本のHPCの旗艦としての役割を京コンピュータと分担している現在も、「最後のパイプラインベクトルスーパーコンピュータ」となっているNEC SXシリーズの名実共に旗艦という存在にもなっている。

単体能力を改善し、多目的に活用を図ることを目的として、スカラプロセッサからなるサーバを併用している。また、日本の学術研究のインフラストラクチャであるSINETに接続し、遠隔利用を可能にしている。AVS, Mathematica, Maple等の商用ソフトウェアやオープンソースソフトウェアも利用可能である。

OSはSXシリーズ用のSUPER-UXをベースに特化した拡張をしたものであり、プログラミング言語処理系としてはFortran 90・C/C++コンパイラが利用できる(いずれも地球シミュレータ専用のカスマイズや調整(チューニング)が入っている)。並列化にあたっては、「ハイブリッド並列化」と「フラット並列化」の二つのプログラミングモデルがある。前者はノード間並列化をMPI、ノード内並列をマイクロタスクまたはOpenMPで記述する一方、後者はノード間・ノード内の両方の並列化をいずれもMPIで書く。一般的には前者はパフォーマンス重視、後者はプログラミング効率重視のモデルとされている。ユーザはこれらの並列化に対応したプログラムをバッチジョブとして投入する。名前が与えるイメージとは裏腹に、GRAPEのような専用計算機ではなくあくまで汎用計算機であるので、地球科学とは直接にかかわりのない分子動力学計算などにも利用されている[4]。

分子動力学法(ぶんしどうりきがくほう、英: molecular dynamics)は、N体シミュレーションの文脈において原子ならびに分子の物理的な動きのコンピューターシミュレーション手法である。原子および分子はある時間の間相互作用することが許され、これによって原子の運動の光景が得られる。最も一般的なMD法では、原子および分子のトラクジェクトリは、相互作用する粒子の系についての古典力学におけるニュートン運動方程式を数値的に解くことによって決定される。この系では粒子間の力およびポテンシャルエネルギーは原子間ポテンシャル(分子力学力場)によって定義される。MD法は元々は1950年代末に理論物理学分野で考え出されたが[1][2]、今日では主に化学物理学、材料科学、生体分子のモデリングに適用されている。系の静的、動的安定構造や、動的過程(ダイナミクス)を解析する手法。

分子の系は莫大な数の粒子から構成されるため、このような複雑系の性質を解析的に探ることは不可能である。MDシミュレーションは 数値的手法を用いることによってこの問題を回避する。しかしながら、長いMDシミュレーションは数学的に悪条件であり、数値積分において累積誤差を生成してしまう。これはアルゴリズムとパラメータの適切な選択によって最小化することができるが、完全に取り除くことはできない。

エルゴード仮説に従う系では、単一の分子動力学シミュレーションの展開は系の巨視的熱力学的性質を決定するために使うことができる。エルゴード系の時間平均はミクロカノニカルアンサンブル(小正準集団)平均に対応する。MDは自然の力をアニメーションすることによって未来を予測する、原子スケールの分子の運動についての理解を可能にする「数による統計力学」や「ニュートン力学ラプラス的視点」とも称されている[3][4]。

MDシミュレーションでは等温、定圧、等温・定圧、定エネルギー、定積、定ケミカルポテンシャル、グランドカノニカルといった様々なアンサンブル(統計集団)の計算が可能である。また、結合長や位置の固定など様々な拘束条件を付加することもできる。計算対象は、バルク、表面、界面、クラスターなど多様な系を扱える。

MD法で扱える系の規模としては、最大で数億原子からなる系の計算例がある。通常の計算規模は数百から数万原子(分子、粒子)程度である。

通常、ポテンシャル関数は、原子-原子の二体ポテンシャルを組み合わせて表現し、これを計算中に変更しない。そのため化学反応のように、原子間結合の生成・開裂を表現するには、何らかの追加の工夫が必要となる。また、ポテンシャルは経験的・半経験的なパラメータから求められる。

こうしたポテンシャル面の精度の問題を回避するため、ポテンシャル面を電子状態の第一原理計算から求める手法もある。このような方法は、第一原理分子動力学法〔量子(ab initio)分子動力学法〕と呼ばれる。この方法では、ポテンシャル面がより正確なものになるが、扱える原子数は格段に減る(スーパーコンピュータを利用しても、最大で約千個程度)。

また第一原理分子動力学法の多くは、電子状態が常に基底状態であることを前提としているものが多く、電子励起状態や電子状態間の非断熱遷移を含む現象の記述は、こうした手法であってもなお困難である。

理論物理学分野で始まったMD法は材料科学において人気を得て、1970年代からは生化学および生物物理学での人気を得ている。MDはX線結晶構造解析あるいはNMR分光法から得られた実験的拘束情報に基づいてタンパク質やその他の高分子の三次元構造を洗練するために頻繁に用いられる。物理学において、MDは薄膜成長やイオン-サブプランテーションといった直接観測することができない原子レベルの現象のダイナミクスを調べるために使われる。また、まだ作成されていないあるいは作成することができないナノテクノロジー装置の物理的性質を調べるためにも使われる。生物物理学および構造生物学では、MD法はリガンドドッキング、脂質二重膜のシミュレーション、ホモロジーモデリング、さらにランダムコイルからポリペプチド鎖の折り畳みをシミュレーションすることによってタンパク質構造をab initioに予測するためにも頻繁に適用されている。

(旧・NEC東芝スペースシステム)

1956年(昭和31年)に東京大学にロケット用テレメトリ送受信装置を納入したのが始まり。2007年に日本電気に再び宇宙システム事業部が新設されたため、NECスペーステクノロジーは主にサブシステムや搭載機器の開発や製造を担当している。

運用が終了した宇宙機
ハレー彗星探査機「すいせい」(英文名:PLANET-A)
月探査機「ひてん」(英文名:MUSES-A)
火星探査機「のぞみ」(英文名:PLANET-B)
月周回衛星「かぐや(日本の昔話「竹取物語」にちなむ)」(英文名:SELENEギリシア神話の月の女神)
小惑星探査機「はやぶさ」(英文名:MUSES-C
光衛星間通信実験衛星「きらり」(英文名:OICETS)
陸域観測技術衛星「だいち」(英文名:ALOS
現在運用中の宇宙機
金星探査機「あかつき」(英文名:PLANET-C
X線天文衛星「すざく」(英文名:ASTRO-EII
赤外線天文衛星「あかり」(英文名:IRIS)
超高速インターネット衛星「きずな」(英文名:WINDS
国際宇宙ステーション実験棟「きぼう」(英文名:JEM)ロボットアーム、衛星間通信システム、各種試験装置、オペレーション・コントロール・システムの開発
温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(英文名:GOSAT温室効果ガス観測センサの開発
水循環変動観測衛星「しずく」(英文名:GCOM-W1
小惑星探査機「はやぶさ2
大型レーダー
電波望遠鏡

半導体関連は前記の通り、1980年代には「日の丸半導体」の一角を担い、1980年代には多大な利益を上げていた。しかし、東アジアにおいて日本製製造装置を輸入してメモリを製造するサムソンなどの韓国や台湾の半導体企業群の隆盛により、著しく価格が下落したことにより利益を上げることが難しくなった。状況の変化を受け、まずメモリ部門を2000年に日立製作所との合弁という形で分社、続いて集積回路部門も2002年にNECエレクトロニクスとして分社化した。いずれの企業もその後、経営危機に伴う出資比率の変更に伴い、NECの関連会社から離れることになった。半導体事業が斜陽化した点については、選択と集中を進められなかったことが原因として指摘されている[65]

1989年(平成元年)に発足したカラー液晶推進開発本部(後に事業部)の分社型会社分割により、2003年(平成15年)4月1日にNEC液晶テクノロジーを設立する。この会社は液晶ディスプレイ事業を担う。2011年(平成23年)2月25日、NEC液晶テクノロジーの株式の70%を中国の液晶大手である天馬微電子のグループに売却すると発表した[66]。

2011年(平成23年)7月1日、NEC深セン中航光電子との合弁企業となり、NLTテクノロジーへと商号を変更した。

カーボンナノチューブ - 飯島澄男(当時・NEC筑波研究所、現・NEC特別主席研究員)
量子コンピュータ - 量子ビットによる論理回路の開発
飛翔体の推進装置 (特許第 2936858 号) - SF的な航法に関する内容が「UFO特許」として知られる[67]。

本社地区(旧三田事業場含む)(東京都港区)
NECスーパータワー以外にも田町駅周辺の多くのビルに入居しており、「NEC村」と呼ばれる。
玉川事業場(神奈川県川崎市中原区下沼部)
通信機器生産および研究開発
府中事業場(東京都府中市日新町)
コンピュータおよび通信機器生産
相模原事業場(神奈川県相模原市中央区下九沢)
研究開発
我孫子事業場(千葉県我孫子市日の出)
通信機器生産

太字は東京証券取引所上場企業。「【NEC**】」は対外的に使用される通称。

アドコアテック
アドバンスド・マスク・インスペクション・テクノロジー
アビームコンサルティング(旧デロイトトーマツコンサルティングNECグループのコンサルティング機能を集約すべく子会社化)
アラクサラネットワークス
N&J金融ソリューションズ
NECエナジーデバイス
NECエンベデッドテクノロジー
NECエンベデッドプロダクツ(旧NECパーソナルプロダクツのストレージ事業を継承。登記上はNECパーソナルプロダクツの社名変更)
NECキャピタルソリューション (旧NECリース)
NEC SCHOTT コンポーネンツ
NECスペーステクノロジー(旧NEC東芝スペースシステム)
NECソリューションイノベータ(2014年4月に旧NECソフトウェアグループ7社を再編統合した企業)
NECディスプレイソリューションズ(ディスプレイ・プロジェクタ等)
NECトーキン(旧東北金属工業)
NECトーキンテクノサービス
NECトーキン物産
NECネクサソリューションズアウトソーシングシステム開発・導入等)
NECネッツエスアイ(旧日本電気システム建設、傘下に複数の子会社を持つネットワーク関係中心にソフトウェア開発まで含めたSIer、2007年4月NECテレネットワークスを吸収合併)
NECネッツエスアイ・エンジニアリング
NECネッツエスアイ・サービス
NECネットイノベーション
NECネットワーク・センサ
NECビジネスプロセッシング
NECファシリティーズ(旧日電厚生サービス、不動産の取り扱いなど)
NECフィールディング(NECグループ製品の保守を主な仕事としている)
NECプラットフォームズ(旧日通工→NECインフロンティア。2001年6月にNEC本体の事業所用電話システム・POS端末事業を統合して社名変更。2014年7月1日に、NECインフロンティアNECアクセステクニカ・NECインフロンティア東北・NECコンピューターテクノを合併の上、改称)
NECフレンドリースタフ(特例子会社)
NECマグナスコミュニケーションズ
NECマネジメントパートナー(NECプロサポート・NECパーチェシングサービス・NECデザイン&プロモーション・NECラーニングの4社が2014年4月に統合。2015年4月以降、NEC本体の本社管理部門・事業部スタフ部門の集約先となる[1]。)
NECライティング(蛍光灯など照明機器部門、旧NECホームエレクトロニクスから分社独立)
NECライベックス
OCC(住友電工と共同出資・海底光ケーブル事業等)
オートモーティブエナジーサプライ
カイノア・テクノロジーズ
キーウェアソリューションズ
KIS
航空システムサービス
国際社会経済研究所
埼玉日本電気NEC埼玉】
三和コンピュータ
シーイーエヌソリューションズ
シー・キューブド・アイ・システムズ
静岡日電ビジネス【NEC静岡ビジネス】
昭和オプトロニクス
シンシア
セイ・テクノロジーズ
高砂製作所
中国サンネット
トッパンNECサーキットソリューションズ
長野日本電気NEC長野】
日通NECロジスティクス[2]
ニットー冷熱製作所
日本アビオニクス(米・ヒューズ社との合弁で設立)
日本航空電子工業
NCS&A
日本電気
日本電気航空宇宙システム【NEC航空宇宙システム】
日本電気通信システム【NEC通信システム】(旧NEC通信システムを含む通信関係を扱う日本電気子会社7社が2003年1月に合併した会社)
日本電気特許技術情報センター【NEC特許技術情報センター】
日本電子総合サービス
パステムソリューションズ
PCテクノロジー
フォワード・インテグレーション・システム・サービス
ベストコムソリューションズ
バンスネット
レノボNECホールディングス(2011年7月、レノボとの合弁により発足したパソコン事業の持株会社[3])
ワイイーシーソリューションズ

NECアクセステクニカ - 旧静岡日本電気ファクシミリADSL向け端末機器等。2014年7月にNECプラットフォームズに統合。
NEC Avio赤外線テクノロジー - 2008年に日本アビオニクスの赤外線事業と旧NEC三栄を統合して設立されたが、2012年に日本アビオニクスへ吸収合併。
NECアベニュー - 音楽関連事業会社。のちにはゲームソフト開発も手がけたが、1995年にNECインターチャネル(後述)にゲーム事業を譲渡、1998年には残存事業も譲渡して消滅。ただし、当社の手がけていた事業はその後の事業譲渡で現在はすべてNECグループを離れている(NECインターチャネルの項目を参照)。
NECエンジニアリング - 2017年4月、NECプラットフォームズに統合。
NECコントロールシステム - 2013年4月、NECエンジニアリングに吸収合併。
NECコンピュータテクノ - 2014年7月にNECプラットフォームズに統合。
NECシージーネット - 2009年にNECシステムテクノロジーに吸収合併。
NEC情報システムズ - 2017年4月、NECソリューションイノベータに吸収合併。
NECツーリスト - 旅行代理店。2009年にNECプロサポートに吸収合併。同社の旅行業部門としてインハウス型旅行代理店業務を継続。
NECデザイン&プロモーション - NECデザイン、NECメディアプロダクツが2009年1月に合併して発足。2014年4月にNECマネジメントパートナーに再統合。
NECテレネットワークス - 2006年4月NECとの株式交換により、NECネッツエスアイの完全子会社化。2007年4月NECネッツエスアイに吸収合併され消滅。
NECトータルインテグレーションサービス - NEC東芝の合弁で作られた日電東芝情報システムから東芝が撤退しNEC系列になった会社。2009年10月に事業をNEC本体とNECネクサソリューションズに譲渡。
NECネットワークプロダクツ - 2011年4月1日にNECアンテン、東北日本電気、NECワイヤレスネットワークスが合併して発足。2017年4月にNECプラットフォームズに統合。
NECパーチェシングサービス - 日本電気ファクトリエンジニアリング、NECオープンプロキュアメント、NECプレオマートが2009年1月に合併した会社。2014年4月にNECマネジメントパートナーに再統合された。
NECバイタルスタフ - 人材派遣・人材紹介サービス。2007年にNECプロサポートに統合。
NECビューテクノロジー - プロジェクター製造。旧NECホームエレクトロニクスから。2007年4月にNECディスプレイソリューションズに合併。ただし、登記上の存続法人は当社となっている。
NECプロサポート - 人事・総務サービスを担当。2009年にNECツーリストを合併。2014年4月にNECマネジメントパートナーに統合。
NECモバイルコミュニケーションズ - 旧NECカシオ モバイルコミュニケーションズ。携帯電話事業を再びNEC本体に戻したことで、2016年3月に解散
NECラーニング - 旧日本電気総合経営研究所NECユニバーシティ(1997年から)。研修サービスを担当。2014年4月にNECマネジメントパートナーに統合。
日本電気ホームエレクトロニクス - 通称・NECホームエレクトロニクス、旧・新日本電気[4]、2000年3月解散。一般家電製品・市民ラジオ・アマチュア無線機器(CQ-Pシリーズ)・家庭用ゲーム機器(PCエンジンPC-FX)を生産販売。かつてフジテレビのテレビドラマ『白い巨塔』(初代)で冠スポンサーになっていた。
サイバーウィング - NECビッグローブ子会社のネット広告事業会社。2014年3月末で解散[5]。
ネッツエスアイ東洋 - 旧・東洋ネットワーク。東洋通信機から装置事業を分割し、その株式をNECネッツエスアイが取得して子会社化。2015年3月限りでNECマグナスコミュニケーションズに吸収合併される。
ネットコムセック - 2015年4月、NECネットワーク・センサに吸収合併。
パッカードベルNECジャパン - 米国で低価格PCを販売していたパッカードベルの日本法人。1999年解散
山梨日本電気NEC山梨】 - 2017年4月にNECプラットフォームズに統合。

2001年4月にNECシステムテクノロジーに統合された各社。

神戸日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア神戸】
岡山日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア岡山】
中国日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア中国】
四国日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア四国】
2014年4月にNECソリューションイノベータに統合された各社。

NECシステムテクノロジー
NECソフトウェア東北
九州日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア九州】
中部日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア中部】
北陸日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア北陸】
北海道日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア北海道】
2016年4月にNECソリューションイノベータに合併。

※社名はグループ離脱時の名称で記載。

アネルバ - キヤノンに売却し、同社の完全子会社キヤノンアネルバとなる。
安藤電気 - 株式交換により、横河電機完全子会社となった。現在は現親会社への営業譲渡によりすでに解散
アンリツ - かつては持分法適用関連会社であったが、2011年3月に株式を売却し除外。
NECアベニュー音楽出版 - NECアベニューの関連会社として発足。NECアベニュー消滅後も存続した。2005年にアイシー音楽出版に社名を変更し、NECグループより離脱。2006年にインデックスグループ(インデックス・ホールディングス及びインターチャネル・ホロン)が全株式を取得しインデックス ミュージックに変更。2008年にティー ワイ リミテッド傘下に入りティー ワイ エンタテインメントとなる。
NECインターチャネル - 1995年にNECアベニューおよび日本電気ホームエレクトロニクスのゲームソフト制作部門等を統合して発足。1998年にNECアベニューの残存事業も譲受。2004年にインデックスが株式70%を取得。インターチャネルに全事業を譲渡した。
NECビッグローブ - 2014年4月、日本産業パートナーズに株式を売却してグループを離脱。
NECプラズマディスプレイ - プラズマテレビ生産会社。現パイオニアプラズマディスプレイ
NECマシナリー - キヤノンTOBをかけて子会社のキヤノンマシナリーとなる。
NECモバイリング - グループ離脱時点で東京証券取引所第一部上場企業だった。2013年6月、丸紅の完全子会社であるMXホールディングスが行った株式公開買付けに応募し、全株式売却[6]。2013年8月15日にMXモバイリングに商号変更[7]。2013年9月に丸紅の完全子会社(孫会社)となり上場廃止
NLTテクノロジー - 旧NEC液晶テクノロジー。2011年に深セン中航光電子に保有株式の70%を売却、その時点では持分法適用会社であったが、2012年度中に持分法適用対象外となり、グループより外れる[8]。
エルピーダメモリ - 日立製作所と合弁で作られたメモリ専業メーカー。2005年9月にNECと日立が保有株式の一部を売却し、同社の連結決算上の持分法対象外となった。その後、会社更生法適用を受けてアメリカのマイクロン・テクノロジ傘下となり、2014年2月28日にマイクロンメモリジャパンに改称。
セブンインターネットラボ - 2012年10月、セブンネットショッピングに吸収合併。
ソニーNECオプティアーク - 現・ソニーオプティアーク
多摩電気工業 - 株式交換により現在はKOA完全子会社。現・真田KOA(2014年4月より)。液晶ディスプレイ用バックライト事業は、多摩ファインオプトとして分離後に、オムロンの完全子会社を経て2009年9月に解散
田村電機製作所 - NEC沖電気がともに筆頭株主だった。2004年に沖電気グループの大興電機製作所と経営統合し、系列から離脱。現・サクサホールディングス
東北化工 - 元はNECトーキンの関連会社。2010年、株式会社エフ・シー・シーが完全子会社化。
東洋通信機 - 株式譲渡・事業統合により、現在はセイコーエプソンおよびその子会社である宮崎エプソンが事業を引き継いでいる。ただし、券売機等の一部事業は分社化(東洋ネットワークシステムズ→ネッツエスアイ東洋)してNECネッツエスアイに全株売却。
新潟日本電気NEC新潟】 - 2001年8月に富士ゼロックスへ全株式を譲渡。現・富士ゼロックスマニュファクチュアリング新潟事業所。
日本SGI - 2001年に株式を取得してグループ会社となったが、2011年3月中に再度米シリコングラフィックスに売却。
日本電気硝子 - 2010年2月3日に保有していた株式6482万8000株を売却して議決権比率が11.3%となり、持分法適用関連会社からはずれる。「事業のシナジー効果が少なくなり、関連会社と位置付ける必要性が高くなくなった」としている[9]。2013年2月5日にはさらに株を売却し、保有率は0.65%まで低下している[10]。
日本電気真空硝子 - 2010年6月30日をもって日本山村硝子へ売却し、グループ離脱、山村フォトニクスとなる。
日本電気精器 - 英ラムダ社の日本法人(ネミック・ラムダ)が日本電気精器を買収し吸収合併、デンセイ・ラムダとなる。株式交換により、現在はTDKの完全子会社。
ホンダエレシス - 2014年3月、他の株主とともに日本電産グループへ売却。現・日本電産エレシス。
明星電気 - 大和証券グループが保有株式を肩代わり、同グループの傘下に入る。その後、2012年秋頃のTOBをもってIHIグループ入り。
ルネサスエレクトロニクス - 旧NECエレクトロニクス。2010年4月にルネサス テクノロジと合併。2013年9月30日、ルネサス側の第三者割当増資により株式の保有比率が低下し、持分法適用対象外となる[11]。

NECエレクトロニクスルネサステクノロジとの合併(→ルネサスエレクトロニクス)と持分会社への変更に伴い、関係会社から離脱した各社。

NECセミコンダクターズ関西 - 2008年に関西日本電気NEC関西】と福井日本電気NEC福井】が合併して発足。現在は再度再編され、ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング。
NECセミコンダクターズ九州・山口 - 九州日本電気NEC九州】・山口日本電気NEC山口】・福岡日本電気NEC福岡】が2度の再編統合により2008年に発足。現在は再度再編され、ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ
NECセミコンダクターズ山形(旧・山形日本電気NEC山形】、2008年改称) - ルネサス山形セミコンダクタとなったのち、2014年4月からはソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンター。
NECマイクロシステム - ルネサスマイクロシステムとなったのち、ルネサスデザインとの統合により2014年8月からルネサスシステムデザイン。