École normale supérieure

École normale supérieure
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École normale supérieure emblem
Other names
Normale sup’, ENS Ulm, ENS Paris, ENS.
学校種別 グランセコール[1] (administrative)
設立年 1794年
学長 Pierre-Louis Lions[2]
学長 Marc Mézard
大学職員数
1,400
学部生数 250 [3]
大学院生数 2,750 [3]
位置 パリ
スクールカラー 黄、紫
所属 Paris Sciences et Lettres, Conférence des grandes écoles
ウェブサイト ens.fr
フランスの高等師範学校(仏:École Normale Supérieure、略称 ENS、エコール・ノルマル・シュペリウール)はフランスの高等教育機関グランゼコールの一つであり、グランゼコールや大学の教員・研究者を養成することを目的とする。現在のフランスにはパリとリヨンに2校ずつ、合計4校の高等師範学校が存在するが、単に「高等師範学校」と言えばパリのユルム通りの高等師範学校を指すことが多い。卒業者はノルマリアン (Normalien) と呼ばれ、準公務員として手当も支給される。

フランス革命期の1794年10月3日に国民公会によって教員養成を目的として設立された。その後、1795年5月廃止されるものの、1808年3月17日にナポレオンによって再び設立されることとなり、1847年に現在の所在地であるパリ市内のユルム通りに移転。また、1985年にはパリ近郊のセーヴルの女子高等師範学校を吸収合併した。

2015/2016年、QSによる世界大学ランキングでは、グランゼコールという総合大学とは異なる理学、哲学、文学、歴史学などの一部の学科しか存在しないという特殊性ゆえにランキングにおいて不利な立場でありながら、世界23位(フランスでは1位)となった。(東京大学39位)

一学年300人程度と少数精鋭でありながら、卒業生にノーベル賞受賞者13人、数学におけるノーベル賞と言われるフィールズ賞受賞者を世界最多の、全フィールズ賞受賞者の約2割にあたる人数輩出した世界屈指の超エリート校として知られる。(フィールズ賞受賞者内訳(英語版))

アンリ・ベルクソン1878年)- ノーベル文学賞(1927年)
イポリート・テーヌ(1893年
アラン(エミール=オギュスト・シャルティエ)(1889年)
ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(1922年)
ジャン=ポール・サルトル1924年)- 作家、哲学者、ノーベル文学賞(1964年、ただし受賞を拒否)
モーリス・メルロー=ポンティ(1926年)
シモーヌ・ヴェイユ(1928年)
ルイ・アルチュセール(1939年)
ミシェル・フーコー(1946年)
モーリス・パンゲ
ジャック・デリダ(1952年)
アラン・バディウ
ジャック・ランシエール
エティエンヌ・バリバール(1960年)
ベルナール=アンリ・レヴィ(1968年)- 作家、哲学者
ダニエル・ベンサイド

ロマン・ロラン1886年)- ノーベル文学賞(1915年)
シャルル・ペギー(1894年)
ポール・ニザン1924年

エミール・デュルケーム(1879年)
レイモン・アロン(1924年
ピエール・ブルデュー(1951年)

ジョゼフ・フーリエ(1794年)
アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー - 数学者、哲学者、経済学者
エヴァリスト・ガロア1829年
エドゥアール・リュカ
ジャン・ガストン・ダルブー
ポール・パンルヴェ - 数学者、首相
エリ・カルタン1888年
エミール・ボレル(1889年)
アンリ・ルベーグ
アンドレ・ヴェイユ(1922年)
アンリ・カルタン(1923年)
ジャン・デュドネ1924年
クロード・シュヴァレー(1926年)
ローラン・シュヴァルツ(1934年)- フィールズ賞(1950年)
ジェラール・ドブルー(1941年)- 数学者、経済学者、ノーベル経済学賞(1983年)
ルネ・トム(1943年)- フィールズ賞(1958年)
ジャン=ピエール・セール(1945年)- フィールズ賞(1954年)
アレクサンドル・グロタンディーク(聴講生)- フィールズ賞(1966年)
ピエール・ルネ・ドリーニュ(1965年)- フィールズ賞(1978年)
アラン・コンヌ(1966年)- フィールズ賞(1982年)
ピエール=ルイ・リオン(1975年)- フィールズ賞(1994年)
ジャン=クリストフ・ヨッコス(1975年)- フィールズ賞(1994年)
ローラン・ラフォルグ(1986年)- フィールズ賞(2002年)
ウェンデリン・ウェルナー(1987年)- フィールズ賞(2006年)
ゴ・バオ・チャウ(1992年)- フィールズ賞(2010年)
セドリック・ヴィラニ(1992年)- フィールズ賞(2010年)

エマニュエル・サエズ(1992年) - 経済学者
トマ・ピケティ(1989年) - 経済学者

ルイ・パストゥール(1843年)- 化学者、細菌学者
ピエール=ジル・ド・ジェンヌ - 物理学者、ノーベル物理学賞受賞(1991年)
ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ - 地理学者

ジャン・ジョレス(1878年
レオン・ブルム(1890年)- 首相
ジョルジュ・ポンピドゥ(1931年)- 大統領
アラン・ジュペ(1964年)- 首相
ローラン・ファビウス(1966年)- 首相

アンヌ・ロベルジョン(1978年)- コジェマCEO、アレヴァCEO
サルトルとニザンは、高等師範学校で哲学のアグレガシオンの試験準備を行い、1929年に揃って合格した。このときサルトルが首席で合格し、次席はシモーヌ・ド・ボーヴォワールであった(なお、ボーヴォワールの出身校はソルボンヌ大学であるが、高等師範学校のアグレガシオン準備講座も聴講していた)[4]。
サルトルは、1928年にもアグレガシオンを受けたが不合格であった。この年、首席で合格したのがレモン・アロンである。
フランス政府給費留学生として高等師範学校で学んだ最初の日本人は、フランス文学者の阿部良雄である(1958年入学)。その留学記『若いヨーロッパ』は、当時の高等師範学校の学生生活や慣習を報告している[5]。

^ http://www.ens.fr/a-propos/l-institution/?lang=fr
^ “Decree of 11 June 2009”. French Ministry of Higher Education. 2014年11月20日閲覧。
^ a b “Faits et chiffres – École normale supérieure – Paris”. Ens.fr. 2014年5月15日閲覧。
^ シモーヌ・ド・ボーヴォワール 『娘時代――ある女の回想』 朝吹登水子訳、紀伊國屋書店、1961年(原著1958年)。
^ 阿部良雄 『若いヨーロッパ――パリ留学記』 中央公論社〈中公文庫〉、1979年(原著1962年)。ISBN 4-12-200636-8。

École normale supérieure 公式サイト。
インターネット放送授業 授業風景を動画や音声で閲覧できる。