あたりまえの幸せ
最近あたりまえのことが幸せだと思えるようになりました。
水道からお湯が出る幸せ。
外でこどもとフリスビーができる幸せ。
洗濯機を回したら洗濯されている幸せ。
ごはんのジャーのスイッチを入れたらごはんが炊けている幸せ。
快適な服が着れる幸せ。
このどれもが今から100年前はあたりまえではありませんでした。
これらのどれもがだれかの一生懸命さのたまものなのです。
われわれが生きているこの世界。
どなたかがこれらの作業をなさっているのです。
つまりお湯を沸かす道具を作ること。
フリスビーを作ること。
洗濯機を作ること。
ごはんのジャーを作ること。
そして電気を供給すること。
家を建てること。
快適な服を作ること。
そのすべてが先人たちの努力や犠牲の積み重ねなんですよね。
そして今生きているひとたちが今日も一生懸命生きていること。積み重ねていること。維持していること。
一般相対性理論を作り上げたアインシュタインは確かに偉大だったかもしれません。
彼なしに今みなさんが使っているGPSはあたりまえのものではなかった。
だけど。
あたりまえのことが幸せだと気づけたこと。
これもアインシュタインの相対性理論やニュートンの万有引力の発見に勝るかもしれない大きな発見かもしれません。
幸せに気づかせてくれたこと。
愛に感謝します。